「かなづかひの舊新は決して本の賣行を左右いたしません」には同意

「どうせ地元の書店には置いていないだろう」と思ったら本当に置いていなかった本を求めて、夕方から中野まで京王バス練馬駅PASMOのチャージ。

私の國語教室 (文春文庫)

私の國語教室 (文春文庫)

小学校5年生のときに父親の蔵書の『のらくろ』完全復刻版を読み、「むかしのひとは日本語をこんな風に書いていたのか」とびっくりしてから26年間、国語改革問題(こうした歴史的背景は知ったのは、さすがに大学生になってからだったが)はつねに気になっている。すでに書き始めたが、いつ書き終わるかは判らないし、発表のあてもない論文のための重要な参考資料。別の書店で、友人から頼まれていた調べものをする。友人はどう思うか判らないが、個人的には得心が行った。
ついでにブロードウェイを散策。反戦主義者、護憲論者のくせにアフリカ製のアーミーシャツを買う。デザインも着心地もよく、これから初夏にかけてはちょうどいい。
今日は昼食も夕食も自炊で済ませるつもりだったのだが、面倒になってラーメン。いわゆる「こだわりの店主」がいる店ではなく、台湾人が経営しているごく一般的な中華料理。どう見てもただの家族連れだとしか思えない客が領収書を求めていて、奇異に感じる。
今日は社会か私生活でよほどの大事件が起きないかぎり、もう更新しない。
あ、最後にちょっと疑問を思い浮かべたので、個人的なメモとして書き示す。1968年は明治天皇即位、近代国家樹立100周年になるのだが、それに見合った国家的行事はあったのだろうか。当時の日本の政治状況からして、そんな場合ではなかった気がするのだが。