読書日録

絶望先生の真似に見事に失敗

大佛次郎終戦日記』(ISBN:4167717352)、マイペースで読み進む。一気に読まなければ内容が理解できないたぐいの本ではないので、気楽である。物価の話題が多い。最初はいまの物価なら何円だろうと計算しながら読んでいたが、乱高下が激しく、また内地と外地でも物価が違うので、途中で諦める。久生十蘭と交流があるのを知る。まるで接点のないふたりだと思っていた。ボードレールのなかなか洒落た言葉を引用していたので、孫引きする。

Le Dandy doit aspirer à être sublime, sans interruption. Il doit vivre et dormir devant un miroir.

「ダンディたるもの、絶え間なく気高くあらねばならぬ。寝ても醒めても鏡を前にしなければならぬ」といった意味。文藝春秋の編集部は"vivre"を「生きる」と訳しているが、"mourir"(死ぬ)ではなく"dormir"(眠る)と対比させているのだから、「暮らす」「生活する」のほうがいいだろう。なおこれは1945年8月9日に書かれたもの。すごい日付けにすごい言葉を引用していやがる。こうでもしなければ心の平安を保てなかったのだろう。
四方田犬彦『見ることの塩』(ISBN:4861820499)、パレスチナ問題を扱った前半はある程度の予備知識もあってか、すらすらと読めた。「イスラエルユダヤ人」といっても出身地によって複雑な差別があり、一枚岩ではないこと、「ナチス・ドイツの惨禍の逃れたユダヤ人が命からがらイスラエルを建国した」という判りやすいストーリーが嘘八百であることを知る。しかし旧ユーゴスラビア問題を扱った後半になった途端に難渋する。オレが高校を卒業したのは1989年3月、要するに東西冷戦構造が崩壊する直前に中等教育を終えたのである。そのため、その後の東欧の地理と歴史がどうにもよく判らない。オレよりちょっと年下の世代とは、この辺の感覚がかなり異なるのかもしれない。
小泉孝太郎のインタビュー記事が読みたくて、夕食を食べた帰りに駅前の書店で『AERA』を買う。月曜日発売の雑誌を土曜日に買うとは、だいぶずれている。オレは「戦後日本で首相経験者の長男でありながらまったく違う分野で活躍したのは吉田健一だけだ」と思っていたのだが、このひとを失念していた。父親が自民党の国会議員であるのは、あとを継ぐつもりのない息子にとっては辛かったそうだ。それはそうか。子供のころから「税金ドロボー」とからかわれてきたのに、よくもぐれなかったものである。小泉家は吉田家よりも少しスケールが小さい気がするが、親子とも故人で歴史的評価の定まったコンビと、親子とも現役で活躍しており、今後も何をしでかすか判らないコンビを安易に比較するのはやめたほうがいいだろう。
また書店では各県の県民性の違い四コマ漫画で語った、ありがちな本を立ち読みする。「新潟県民は豪雪に耐えているので忍耐強い」というクリシェは、生活に困るほどの大雪が降るわけではない新潟市出身の者にとってはどうにも実感が湧かぬ。