岡崎京子的なるもの

フランス語版『ヘルタースケルター』

チワワちゃん (単行本コミックス)

チワワちゃん (単行本コミックス)

ついさっきセブンイレブンで受け取ったが、まだ読んでいない。
ところでこのブログを継続して読んでいるひとは、オレが去年の年末近くになってから、急に岡崎京子の作品を読むようになったとの印象を持つかもしれない。実際にその通りである。じつはオレは例の痛ましい事故の前には、岡崎京子の作品をほとんど読んでいなかった。辛うじて読んでいたのは短篇集の『好き好き大嫌い』(ISBN:4880635839)と代表作(だが、オレにはいまひとつ良さが理解できなかった)の『リバーズ・エッジ』(ISBN:4796608257)、そして少し前の日記で言及した掌編「東京は朝の7時」だけだったのだ。にもかかわらず岡崎京子の作品は知り尽くしたつもりでいた。この勘違いに気付いたので、慌てて読むようになったのだ。
ではなぜこのような勘違いをしていたのか。それは1980年代後半から1990年代前半にかけて、「岡崎京子的なもの」が溢れていたからだ。カルチャー系(と大雑把に括ってしまうのは乱暴だが)の雑誌を読めば、岡崎京子本人のコラムやイラストや対談、岡崎京子に関する評論や噂話、そして岡崎京子エピゴーネンとしか思えない漫画が大量に載っていた。それらに接していたせいで、何となく岡崎京子をちゃんと読んだことがあるような錯覚に陥っていたのだ。少なくとも1980年代後半から1990年代前半は、そうした時代だったのだ。もっともこれは首都圏在住の文化系男女に限定された話なのかもしれないが。
年寄りの繰言めいているが、1996年以降に岡崎京子の名前を知り、彼女の作品を読むようになった若いひとに、少しだけ当時の状況を伝えたかったのである。
なお右上の画像はフランス語版『ヘルタースケルター』の表紙。日本語版よりも作品の雰囲気にマッチしている気がしなくもない。