技術決定論への抗い(きれないオレ)

昨日の日記でも書いたが、いまから20年くらい前の日本を舞台にした漫画や小説を読んでも、意外と時代風俗は古びていない。ただし携帯電話とインターネットが登場しないのを除いては。
これは逆に言えば携帯電話とインターネットの普及が、日本人のライフスタイル(ひいては価値観)を一変させたことになるわけだ。24歳になるまでネットともケータイとも無縁だったオレでさえ、むかしの映画を観ていて、「こんなときはさっさと携帯電話で連絡を付けろよ」と思ってしまう。いまの高校生ともなればなおさらだろう。
新しい感受性を作り出すのはつねに新しいテクノロジーであって、芸術だの思想だのではないのだ、という柄谷行人の言葉(正確には違う意味のことを言っているのだが、裏返せば上のような主張になる)にうなづきそうになる。だからといってすべてを技術決定論で片付けようとするのには、曲がりなりにも文学研究をやっていた時期がある者としては反撥したくなるのだが。