文法だよ、文法

土曜日の夜は練馬駅南口から徒歩で5分、オレが住んでいるマンションからは歩いて1分の本格的なカレー店(店名をいまネットで調べたが、正確な情報は得られなかった。わざわざ横浜から食べに来るひともいるとのこと。今日は阿佐ヶ谷でゲームクリエーターをやっている男性と知り合った)で、夕餉を楽しむことが最近は多い。店主は南インド出身の生粋のインド人で、土曜日だけは日本人の女性がアルバイトとして働いている。
インド人の店主はかつては南仏で働き、なおかつオマーンでで宮廷料理人をつとめたという経歴の持ち主である。
今日(23日)はそこで夕食を食べたのだが、アルバイトの日本人女性は早めに店を出て、その後は店内はシェフとオレだけになった。シェフは日本語は堪能だが、たまに上記の女性アルバイトから、「こういうときはそんなことは言わないのよ」と注意されている。またニースやモナコで修行したこともあるので、基礎的なフランス語なら理解できる。
そんなわけで日本語、フランス語、英語をごちゃまぜにしてシェフと話したが、ほとんどがおたがいに理解できた。オレは今月22日のデモ行進までアメリカ英語もイギリス英語もネイティヴ・スピーカーときちんと会話したことはなく、中学、高校、大学の教養課程と落第点すれすれのの英語の成績で卒業した。
にもかかわらずインド人と英語で会話できたのは、大学に入ってからフランス語にを真剣に取り組んだからである。英語の語彙の多くはフランス語から拝借しているので、フランス語を学んでいると、いつの間にか英語の長文を理解できるようになるのだ。それを大学院の入試問題でつくづくと実感した。たとえば仏教、チベット問題、このところ気に入っている音楽や映画について、拙いながらも英語で語り合えた。なおシェフはマハトマ・ガンジーマーティン・ルーサー・キングダライ・ラマ14世を尊敬しているとこのこと。また音楽家ではラヴィ・シャンカールビートルズ(とりわけジョージ・ハリソン)に利用されたのには複雑な感情を抱いているとのこと。
なおオレの妹のむかしのボーイフレンドで、日本語、フランス語、英語を含めて五ヶ国語を話せる親日派のイタリア人も、「外国語を学ぶには、まずは文法を正確に覚えなければならない」と言っていた。さらには英語とフランス語に堪能な大岡昇平も、「発音ばかりを重視する戦後日本の英語教育は間違っている」(手元に原文がないので、記憶に頼る)と何かのエッセイで書いていた。