韓国がたくさん

日本映画と戦後の神話

日本映画と戦後の神話

読了。気に留まった点をメモする。オレは映画よりも文学に興味があるので、いきおい文学関係の話題が中心になる。

  • 谷崎潤一郎春琴抄』の映画版を観た海外の観客は、佐助の行動を理解できず、拒否反応を示す。例外が韓国の観客で、著者はここに自己犠牲の観念が根付いた国の風土を見出している。
  • 最近では村上春樹がブームになっている韓国だが、軍事独裁政権時代には太宰治がよく読まれていたとのこと。みずからを『斜陽』の直治になぞらえる映画関係者もいたようだ。
    • このようなエピソードから、民主化以前の韓国では日本文化にアクセスできなかったというのは、多分に疑わしい話だと思えてくる。
  • 日本や欧米の三島研究家は、彼の作品の素晴らしさと晩年の奇矯な政治行動を別物として扱いがちだが、韓国では積極的に結び付ける動きが強い。
    • 意外なことに「憂国」は原作も映画も、韓国では真摯に受け止める者が少なくないそうだ。著者はこれを徴兵制が原因ではないかと推測している。
  • 村上春樹大江健三郎は、自作の映画化に積極的ではない点で共通している。
    • 伊丹十三は義弟の小説の映画化を試みなかったのであろうか。

あとは韓国映画にもっとも詳しい日本人だと自負していた四方田犬彦が、韓流ブームが絶頂期だった2004年に日本に不在だったため、一気に「韓国映画に詳しくないひと」扱いされるようになったというエピソードが、何だか微笑ましかった。
何やら「韓国」が乱舞する文章になったが、これはもとの本が韓国文化と韓国映画について膨大なページを費やしているからで、恣意的な選択ではない。