石田徹也と326

このところ石田徹也という画家が評判になっているが、オレはどうにも好きになれない。悪い意味で漫画的な感じがするからだ。図式的な物言いだが、ひとりのフランス人が便器に署名した瞬間からモダンアートの歴史がはじまるとするなら、モダンアートは作品から判りやすいメッセージをいかに排除するかをひとつの課題にしてきたと言えるだろう。だとすると彼の作品はメッセージがあまりにもダイレクトに伝わりすぎ、モダンアートとしては単なる反動としか思えない。「悪い意味で漫画的」と書いたのもそのためだ。できるだけ効率よくメッセージを伝えられるように進歩してきたのが、戦後の日本漫画であろう(それゆえに何度読んでも意味がよく判らない漫画には、「アート的」というレッテルが貼られる)。
何となくだけど、石田徹也の絵画に感動するのは、326の詩に感動するようなものではないか。まあ、何に感動するのも本人の自由だが、彼の作品がモダンアートの文脈で評価されているとしたら、「それはちょっと違うんじゃないのか」と言いたくなるのであった。