A tribute to GYP
- 出版社/メーカー: 青土社
- 発売日: 2007/11
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しかし木村さんによれば文字数の都合で、GYPに関する記述を本文に盛り込めなかったとの由。せっかく翻訳したものを死蔵させるのはもったいないので、ここに抄訳・意訳を掲載します。森茉莉好きの文化系女子は多いけれども、GYPに興味を持っているひとは少ないかもしれませんが、それでもゼロではないでしょう。お役に立てれば幸いです。あとは丸括弧内はオレの訳註というか、個人的なツッコミです。
結婚によってマルテル伯爵夫人と名を変えたシビル・ガブリエル・リケッティ・ドゥ・ミラボーはブルターニュのプリュムガの近くにあるコエトサル城で1849年に生まれて1932年に死んだ、GYPというペンネームを用いたフランスの女性作家である。
彼女はミラボー伯爵(フランス革命期に活躍した政治家で、死後、反革命的な書翰をルイ16世とやりとりしていたのが発覚した)の末裔にあたり、アンシャン・レジーム下では輝かしい武勲を挙げて将校まで勤めたが、当時は農夫だった父方の祖父は、孫娘の教育方針を変え、フェンシング、クラシック・バレエ、乗馬を学ばせた。父親もまた、シャンボール伯爵の領地だったオーストリア国内で農業を営んでいた(典型的な没落貴族というか何というか)。
のちに大統領となるフレデリック・フォールと普仏戦争時に友人になったマルテルと彼女は1867年に結婚、ヌイイ=シュル=セーヌ市(パリ郊外のオート=ド=セーヌ県の県庁所在地)に生涯の居を構える。
作家デビューは1877年で、1880年からはGYPというペンネームを用いるようになる。彼女は昼夜を惜しまず120以上の作品を発表し、成功を収める。
これらの作品はいまでは忘れ去られているが、会話のセンスや辛辣なエスプリは現代でも通用する。また多くの文学的なプロトタイプとなる登場人物も創造した。しかし反ユダヤ主義と極端なナショナリズムのせいで、作品の多くが台無しになってしまっている。
彼女はブーランジェ主義者で、反ドレフュス主義者で、極端なナショナリストだった(「ブーランジェ」「ドレフュス」を知らない向きは恥じながら調べること)。彼女はドレフュス事件の有名な被告人で、誹謗中傷の咎で有罪判決が下ったルドヴィック・トラリューの架空の日記、「あるパリジャンの生活」(1897-1898)を出版した。だが彼がみずからの結婚に有利なようにプロテスタントに改宗すると、Gypは背教者として非難するようになった。
(おそらくはこうした言動のために、彼女は文学的に失脚したのだろう)
彼女は1895年の「マドモワゼル・イヴ」で中央文壇への復帰を図るが、失敗に終わった。彼女の作品には波乱万丈なストーリー性が欠けていたのだ。
晩年の彼女は毎週日曜日にヌイイ市の自宅でサロンを開催していた。出席者はピエール・ド・モンテスキュー、プルースト、ドガ、モーリス・バレス、アナトール・フランス、ヴァレリー、ドーデなどの文学者や画家であった。
彼女は小説から得る収入で経済的な安定を得ていたが、1885年に購入し、多くの主要な作品を残したミラボー城が破産し、1907年にモーリス・バレスにこの城を転売せざるをえなくなった。息子は高名な外科医だったが、ドイツ軍がパリ入城する1940年に自殺した。