力士一擲、いかで服装を廃棄すべき

よほど顔が知れている人物を除けば、いまの世の中では服装や顔立ちからそのひとの職業を当てるのが難しくなっている。例外が力士と弁護士と言えよう(弁護士はつねに弁護士章バッヂを服装の目立つところに身に付けるのを義務付けられている)。とりわけ力士は哀れである。東京で暮らしたことのあるひとなら、街のどこかで力士のすがたを見掛けたはずだ。力士があんなに難しい本を読んでいる、力士がああいうものを食べるとは意外だ、力士が嫌らしい本を買ったわよ、お、力士が交通違反をしているぞ、などなど。おまけに全国で800人しかいないのだから、好角家であれば十両以上の力士であれば、誰が誰なのかを当てるのはさほど難しくはない。力士たちは外出するときに、つねにこうした緊張感とともに生きているのではなかろうか。その意味でオレは力士は哀しい存在だと言いたいのだ。例の痛ましい死亡事件を指しているのではない。それも哀しいが、職業がすぐに判ってしまい、さらには誰なのかまでもが判ってしまう。ああ、哀しい。