巴里の日本人

オレがはじめて(そしていまのところ唯一)フランスを訪れたのは1991年だが、「フランスの広告はずいぶん単純だなあ」と思った。ポスターのデザインはいかにもフランスらしく洒落ているが、それに添えられているコピーは「安いから買え」「うまいから食え」といった内容ばかり。「こんなものが広告なのか」と思ったが、考えてみれば買い手をその気にさせるのが広告のコピーの役割なのだから、これで充分なのである。いわゆる「コピーライター文化」の爛熟期とともに10代をすごし、「コピーは現代の俳句である」という言説に囲まれていた自分のほうがどうかしていたのであった。
あとはいまでもそうなのか知らないが、パリジャン、パリジェンヌ諸氏は日本人よりも暗算が苦手であった。13フラン(当時)のものを買うのに20フラン札を出せば、お釣りがいくらになるのか直感的に判りそうなものだが、いちいち指を折って数えながら計算しているのだ。フランスの初等教育の程度が日本よりも低いという話は聞いたことがない。
柄谷行人はかつて、「表音文字の国(ヨーロッパ諸国)が表意文字の国(漢字文化圏)よりも暗算が苦手なのは、数字を音声(パロール)から切り離して、独立した概念として捉える習慣がないからではないか」と何かの著作で書いていた。こういう文化論はえてしてこじつけめいているが、何となく納得したのは事実である。