誰が作者なの?

チャプリン著作権「まだ有効」 格安DVDを差し止め
http://www.asahi.com/culture/update/0830/TKY200708290343.html
この記事を読んで、「原告と被告のどっちの言い分も正しいし、どっちもおかしい」と思うのはオレだけだろうか。ちゃんと復習しないで記憶に頼って書くが(ゆえに間違いがあったら指摘してほしい)、著作権法といっても英米系と大陸系のふたつの流れがあり、日本の著作権法は後者の流れに属している。そして後者は19世紀末に締結されたベルヌ条約の影響が大きい。ここでポイントなのは、ベルヌ条約がおもに念頭に置いていたのが、文学や近代絵画である点だろう(なお締結のためには、ヴィクトル・ユゴーが大きな役割を果たした)。
文学や近代絵画は基本的にはひとりで作るもので、誰が「作者」なのかを確定するのは容易である。『恐るべき子供たち』の作者はコクトーであり、『睡蓮』の作者はモネである。この辺は疑う余地はない。
しかし映画、ポピュラー音楽、ビデオゲームのように複数の人間が分業して作る作品となると、途端に話が曖昧になる。「ビートルズサウンドの特徴はジョージ・マーティンに拠るところが大きいのだから、ビートルズの楽曲の著作権ジョージ・マーティンにあるんじゃねぇのか」と、うっかり乱暴なことを考えたくもなる。「映画の著作権は監督にあるのか、配給会社にあるのか」と問われたら、「配給会社にあるとするのは間違っている。でも監督だけが作者というわけでもないだろう」と口ごもりながら答えるしかない。だから上のニュースを読んで、「どっちの言い分も正しいし、どっちもおかしい」と思ってしまうのだ。
それではどうすればいいのかと言われたら、「複製技術時代にふさわしく、著作権制度のありかたを変えるのがいいのではないか」というまことに優等生的な回答しか言えないのだが。