オザケン、ゲバラ萌え

昨日の日記に追記しようと思ったが、それだと読まれなくなるかもしれないので、新しく記事を起こす。
小沢健二は「企業的な社会、セラピー的な社会」でマズローの「自己実現」という概念を批判している(ああ、これはオレも大学で学んだ。懐かしい)。マズローによれは第一段階として「衣食住、睡眠、性欲などが満たされていていること」、第二段階として「身の安全、安定が満たされること」、のように五段階のステップを経て、はじめて人間は自己実現できる(自分の能力を最大限に発揮できる)と唱えている。それに対して小沢健二は「ジョン・レノンマーティン・ルーサー・キングやマハトマ・ガンディーは自己実現できたけど、身の安全が保障されなかったじゃん」と反論している。マズローのロジックも単純だが、小沢健二のロジックもずいぶん単純だと思わなくもない。そして「自己実現できたのに非業の死を遂げた人物」として、チェ・ゲバラの名を特権的に挙げている。彼がボリビアのホテルに長期滞在してこの論文を書き上げたのも、この国がゲバラの終焉の地だったからかもしれない。
高校生や大学生がうっかりゲバラに憧れて、彼の顔がプリントされたTシャツを買うのは判らなくもない。しかし来年で40歳になろうかという中年男が「ゲバラ萌え」を公言するのは、ちょっと恥ずかしいのではないのだろうか。