リアルタイムということ

「リアルタイム」という言葉が出てきたので書くが、特撮系の俳優で昭和歌謡のマニアとしても知られている半田健人が、あるテレビ番組で「リアルタイムっていうのは油断してるんですよ!」と発言したそうだが、これには全面的に同意する。何かをリアルタイムで知っている人間は「リアルタイム」を特権的なものだと勘違いして、あとからやってきた人間を抑圧し、小馬鹿にする傾向がある。「油断」とはこうした心の動きを指すのだろう。
しかしリアルタイムだからこそ、客観的で冷静な批評ができない場合のほうが多いのではないか。そんなにリアルタイムで知っているのが大層なことであれば、マクシム・デュ=カンフロベール観に全面的に同意し、「ハンスリックさんのおっしゃるように、ワーグナーはくだらぬ作曲家ですね、ぐへへへへ」とお追従笑いを浮かべなければならない。
日記を発表する場をはてなダイアリーに移行した直後に引用した文章を、ここで再度引用したい。「ロリポップ・ソニック」と名乗っていた時代からフリッパーズ・ギターを知っている人間が、ただそれだけの理由で批評どころか感想文にもなっていない文章を商業誌に発表できた、あの忌々しくも腹立たしい時代を思い出すために(「あの忌々しくも腹立たしい時代」のおかげでオレが商業ライターとしてデビューできたことは、何とも恥ずかしい)。

……しかしだからといって、「渋谷系」という呼び名を音楽産業群によるでっち上げ・搾取として誹謗し、今は亡き「(本物の)渋谷」を悲嘆するだけでは、最初からいた私/後から来たあなたを弁別する実存的欲求は充たされこそすれ、渋谷系という現象の大局を理解したことにはなるまい。
安田昌弘「地図にない渋谷」