センセイ

いまでは文学者に「先生」という敬称を付けるのは、皮肉か冗談のたぐいでしかなくなっている。オレみたいな三流にして三文ライターであっても、「鈴木先生」などと言われたら、「馬鹿にされてるんじゃないのか」と思ってしまう。
しかし漫画雑誌を読むと、「○○先生に励ましのお便りを」なんてことが柱に書いてある。なぜ漫画ではいまだに「先生」が有効なのか。それは漫画界が前近代的な師弟関係に支えられているからではなかろうか。漫画ではいまだに「アシスタントとして修行を重ね、実力を付けてからひとり立ちする」というパターンが多い。こういうパターンは、文学ではもはや稀少である。そして自分のほうが売れっ子になってからも、専属のアシスタントとして師事していた作家を「師匠」「先生」として慕う例もある(最近なら、久米田康治畑健二郎の関係がいい例か)。この辺に「先生」がいまでも流通している理由のひとつがある気がする。