やつらは何者だったのだろう

昨日はヒマネタとして「プログレとわたくし」について書いたら、思いもよらぬ反響があった。そこで今回は「ヒップホップとわたくし」でも書いてみよう。これは「プログレとわたくし」をさらに遡る、1984年前後の話になる。
当時、ロックやポップスに興味を持ち始めた中学生のつねとして、オレも小林克也の「ベストヒットUSA」をなかば義務的に観ていたのだが、これはと思える曲に出会えなかった。日本のニューウェイヴに夢中だったオレは第二次ブリティッシュ・インベンションから登場したバンドにはそれでも興味が持てたのだが、本家本元のアメリカン・ポップスはまったく理解できなかった。当時はシカゴやライオネル・リッチーが流行していたが、まるで面白いと思えなかった。
そんなある週、小林克也が「個人的にはつまらない音楽だと思っているけど、テレビ局から頼まれたから嫌々ながら紹介する」という表情を隠そうともせずに、「いまニューヨークで注目を集めている新音楽」としてヒップホップを紹介した。これを聴いたときには、「おお、これは新しい音楽だ。面白そうだ」と昂奮した。生演奏に頼らず、機械からグルーヴを生み出すという手法が、ニューウェイヴと似ていたからだろうか。しかしこのとき出演したのが誰だったのか、さっぱり覚えていない。たしかMCが3人でDJが1人という編成だった気がする。1980年代なかばとなるとRun-D.M.C.あたりになるだろうか。
あいつらが誰だったのか、いまにいたるまでどうにも気になるのだ。まあ、ほとんどの確率でRun-D.M.C.だと思えるのだが。