口述筆記と印刷会社

連日の作業にさすがに精神的におかしくなりそうで、パソコンのモニタを見ているだけでも気持ちが悪くなってくる。しかし今日が仕事の〆日なので、やるべきことは進めなければならない。
そんなわけでベッドに寝倒れたまま、家族に口述筆記を頼んだのだが、これは意外と大変な作業だ。こちらはあくまでも草稿のつもりで喋っており、疲労恢復したらリライトするのが前提なのだが、向こうは同じ語句の重複などを丁寧に問いただす。おかげで作業ははかどったものの、少々疲れたのも事実。こういうことを経験すると「口述筆記だけで書かれた文献」の資料的な怪しさを感じてしまう。文学作品ならなおさらに。
ところで語句の重複云々と関係するが、編集者とは異なり、印刷会社には基本的に語句を訂正する権限は与えられていない(会社にもよるだろうが)。これは写植の時代からDTPの時代まで変わらないだろう。なまじ文章力や語彙に恵まれている人間がそんな職場で仕事をしていたら、頭がおかしくなるのではないか。
そういえば筒井康隆が編纂したホラー小説のアンソロジーで、校正者の狂気を描いた作品があったはずだ。はじめて読んだときは出版のことなどまったく知らなかったのだが、いま読むと同じ狂気に伝染するかもしれない。検索して調べたら、生島治郎の「頭の中の昏い唄」であった。読み返そう、家のどこにあるのか判らないが。

異形(いぎょう)の白昼 (集英社文庫)

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