英語が判ればすべて安心?

オンライン英和辞典で5秒で調べられる知識をもとに、「『ヴォランティア』ってのは、『志願兵』なんだぜ」と自慢げに語る人間がいる(はてなダイアリーのキーワードにも、そのように書いてある)。しかしもう少し時間をかけて調べれば、「ヴォランティア」から「意志、意欲」と訳されるフランス語の名詞に行き着くはずだ。いや、行き着くことができない人間が「ヴォランティア」の語意・語源について、もっともらしいことを語ってはならない。抽象概念を指し示す英単語の約8割は、フランス語に由来するのだから。
これがネット上でのちょっとした知識自慢ならばまだ許せる。本当は許したくないのだが、ぐっと堪える。とまれ日本語と英語さえ判れば何でもできる、とでも言わんばかりの態度で出版業界をのし歩く編集者やライターを見るにつけ、どうにも暗澹たる気分させられる。実行には移さず、実名を公表するのも差し控えるが(しかし実名を公表したいという誘惑に負けそうになる)、殺意さえ湧く。少なくとも西洋文化(これには「ネットカルチャー」とやらも含まれる)に関する本格的な著作を執筆・編集するのであれば、英和のみならず仏和、独和、伊和、羅和の各辞書は常備すべきであろう。これらすべての言語の文法に精通する必要はない。しかしときにはイタリア語やドイツ語の単語が理解できなければ読み進められない参考文献に出喰わすことがある。ネット辞書? そんなものは愚民どもの道具にすぎない。
などと苛立った調子の文章を書いてしまうのは、オレが英語が苦手であることに深い劣等感を抱いているからだが。