左うでの夢なんて忘れたよ

コメント欄でも書いたが、昨日のYMO特番がきっかけでピアノの蓋を開き、中学・高校のときにてすさびに弾いていたYMO坂本龍一の代表作に取り組んだ。市販の楽譜を買ってきちんと練習した曲は辛うじて覚えているのに(といっても右手で主旋律を弾けるだけで、左手は循環コードの"Behind The Mask"くらいしか動かないのだが)、いわゆる「耳コピ」で覚えた曲は、きれいさっぱり忘れているのに愕然とする。「絶望した!」とはこういうときに言うべきであろうか。
この事実はどう受け止めたらいいのだろう。西洋近代芸術音楽が確立したディシプリンはそれだけ強固だということか。あるいはオレには「天性の音楽的感受性」が欠落しているということか。どちらにしても面白い結論ではない。