オンガク

構成も結論もまったく決めずに書く。いつも以上に隙の多い文章になるだろう。
「義務教育でかならず勉強するのに、なぜか身に付けられないもの」といえば、多くのひとは「英語」と答えるだろう。しかしそれ以上に深刻なのは「音楽」だ。いくら「英語ができない」といっても、まったく一言も理解できないひとは少ないだろう。それなのに「楽器を演奏する」となると、きわめて特殊な技術のように思われてしまう(何しろ専門の大学があるくらいだ)。しかし義務教育で教わるからには、「楽譜が読めない日本人」や「楽器を演奏したことがない日本人」は原則としてはいないはずだ。それなのに成人してからも楽器の演奏に関心を持ちつづけるひとはさほど多くない。
こう書くといわゆる西洋芸術音楽に話を限定しているように思われるかもしれないが、そうではない。ジャンルを問わず聴くのを楽しむひとと弾くのを楽しむひとになると、後者が圧倒的に減ってしまう。だからこそ「ミュージシャン」という職業が成り立つわけだ。
しかしなぜ? カラオケで擬似的に「演奏」に参加できるから? 楽器が高いから? 防音設備がないから? オレのこうした疑問がそもそも本末転倒している? あるいはオレが知らないだけで、多くの日本人は楽器に親しんでいるのか? 
義務教育で学ぶといえば絵だってそうではないか、と気付いた時点で話を一般化するのが面倒(不可能)になったので、個人的な事情を書く。オレが楽器を練習しようと取り組んでもすぐに挫折するのは、

  • 仲間が見付からない
  • 発表する場がない

のふたつに絞られる。ピアノやギターのようにソロで成立する楽器ならともかく、ベースのように脇役的な楽器など、ひとりで練習していても面白いものではない。後者に関しては「だったらウェブで発表すればいいではないか」と言われるかもしれないが、著作権の保護期間がすぎていない楽曲を演奏したMP3ファイルを迂闊に公開したら、面倒なことになるではないか。
ここまで書いて「『仲間』や『場』にこだわるお前は、所詮は音楽をコミュニケーションの道具としてしか考えておらず、自立した芸術として捉えていないではないか」という声と、「その『音楽は自立した芸術だ』という考えが、きわめてローカルな現象、さらに言えばイデオロギーにすぎないのではないか」という声がせめぎあいはじめて収拾が付かなくなったので、擱筆する。