リアリズム型ブログの誕生

『リテレール』かその別冊だと思ってバックナンバーを漁っているのだが、該当箇所が見付からないので記憶で書くが、鹿島茂が「抽象論に徹した本とリアリズム(実証性)に徹した本以外は、100年後には無価値になる」といったことを書いていた。もちろん文学作品は例外としていたはずだけど。
これはブログにも言えるのではないか。オレは「ブログ論壇」的なものや「アルファブロガー」的なものを否定するつもりはまったくないのだが(「ブログ論壇」に関しては、自分も何やら「登場人物」の一員にさせられている)、10年後になっても愛読されるブログとなると、アルファブロガーもどきやブログ論壇系よりも、これといって深い意図もなく書いている身辺雑記系のブログ(まさにリアリズムに徹しているブログ)のほうではないだろうか。たとえば切込隊長のブログだってあと20年もすれば、時事問題に関する鋭い洞察ではなく、「当時のITベンチャー企業の経営者はどのような生活を送っていたのか」を知るための資料として参照されるかもしれない。だからこそ「自分語り」系のブログにも価値があるのだということを『スローブログ宣言!』(ISBN:4774124214)で訴えたのだが、どうもあまり伝わらなかったような感じがするので、ここでふたたび訴える。
正確に言えば身辺雑記型ブログと「自分語り」系のブログでは性格が異なり、オレがより肯定的に評価したいのは前者なのだが、「身辺雑記型」と「自分語り」系の違いを厳密に定義しはじめるときりがなくなるのでやめる。それから「リテレール」という雑誌についてもあれやこれやと語りたいのだが、これも長くなりそうなのでやめる。