俗流アナーキズム

YMOマニアのあいだではそれなりのプレミアがついているらしい『YMO Book』(学研、1983年)から、坂本龍一糸井重里の対談を引用する。最近はこうしてむかしの本から引用することが多いのは、単に蔵書整理中だからである。初出は「サウンドール」誌の1981年9月号。「ブ」と「ヴ」の表記が不統一なのは原文ママ

坂本 最近、アバンギャルド病の若い子が多いんだよね。その子たち、けっこううるさいんだよ。ノイズ出してる。ぼくなんか毒されるっていうか、気になるんだね。
糸井 ワァー、キツイ!
坂本 イヤなんだけどサ、気になるタイプでもあるわけ。それにシャットアウトするのって、すごくむつかしい。
糸井 アヴァンギャルド病ってのは、たとえば南伸坊の本に『面白くっても大丈夫』ってつけるとね、面白ければ何でもいいんだって立場を取りたがるわけネ。それはやっぱり俗流アナーキズムだからさ。
坂本 ぼくらの頃にもそういう俗流アナーキズムっていうのはいたけどね。今のニューウェイブとかさ、進んでるっぽい子たちはサ、ほとんどそういうこと言うでしょう。イヤなのね。
糸井 ぼくなんか言葉をもっとムチャクチャに使うとサ、今度はもっとムチャクチャに使った人のほうが点がいいってことがあるの。困るんだよネ。
坂本 しかも俗に言って気持ちいいからね。
糸井 破壊的だからな。
坂本 権力的な言語も言えるし、一種の極左主義だけネ、気持ちいいわけよネ。それで地味にやるのは気持ちよくないなってなっちゃうわけ。それが子供に浸透しちゃうの。
 中学生くらいの女の子でサ、ニューウェイヴとかオルターナティヴとか、耳がいいから聞いちゃうわけ。そうするとね、そういうアナーキズムを信奉しちゃう子が出てきちゃうわけ。「坂本さんの音楽は楽譜で書けるから昔の音楽です。だからつまらない」っていうようなファン・レター書いちゃったりね。ちっとも嬉しくないの。
 でも、中学生くらいでそういうの書き送ってくるのって、やっぱり気持ちいいだろうって思うのね。だけど、そのイージーさに気がつかないし、誰も教えてやらないから、浸透しやすいんじゃないかな。
糸井 そういう批判が権力志向だというのはわかってないみたいよ。
坂本 見えてないね。完璧に戦闘服着たがる中学生と同じなんだよ。宣伝カーから軍歌流してさ。

と、日本の右傾化を憂えるおふたりであるが、もちろんそこにこの対談の本質があるわけではなく、「過激なもの」「難解なもの」「前衛的なもの」「実験的なもの」をやたらとありがたがるのは、いっけん知的な行為のようでいて、結局は何も考えていないのと同じだと訴えたいのだろう。というか坂本龍一こそが、純朴なニューアカ少年少女を俗流アナーキズムに走らせた張本人ではないかと思えるのだが。
なお坂本龍一はかつて自分がこんなことを発言したのをすっかり忘れていたようで、2002年におこなわれたインタビュー(インタビュアーは田中雄二)でこの話を振られて、「なんだそれは(笑)」と答えている(非売品、『YMO OMOYDE』)。
と、「なんだそれは(笑)」を確認した時点で続きを書く気が失せたのだが、いまだにオレが「難解で前衛的で実験的で過激な芸術は素晴らしい」という価値観に呪縛されているのは告白しておく。