「美大絵」は存在するか

一昨日の日記で取り上げた冬目景は、多摩美の出身である。そう言われてみれば、「いかにも美大出身っぽい絵だなあ」と感じる。しかし「言われてみればそう感じる」だけであって、絵を見ただけで「このひとは美大出身だ」と直感したわけではない。しかし「美大絵」と呼べる画風がありそうな気はするのだ(美大だけではなく、総合大学の芸術学科やアート/デザイン系の専門学校出身の漫画家の絵も「美大絵」に含める)。自他ともに「画力がない」と認めている西原理恵子にだって、やはり美大らしさを感じる。しかし同い年でともに和光大学人文学部芸術学科出身の松本大洋久米田康治では、松本大洋は「美大絵」だと思うのに、久米田康治は「美大絵」とは思えない。しかし最近になってから久米田が確立した独特の画風には「美大的センス」をつい感じてしまう。
こんな風に評価が揺れてしまうのは、「『美大絵』が存在する」というオレの前提が根底から間違っているからなのだろうか。それとも自分でイラストや漫画を描いた経験のあるひとなら(オレはまったく絵心がない)、「美大絵」を見抜くリテラシーが備わっているのだろうか。昨日の日記のコメント欄でも指摘されたけど、およそ芸術というものは実践する側にならないと実感できないものが多いのだから。