准教授

今年度から大学の「助教授」が「准教授」になったのは多くのひとの知るところだろうが、オレとしては「助教授」という名前が消え失せるのに心淋しい思いをしている。なんとなれば高校三年生のときに川原泉の「Intolerance...あるいは暮林助教授の逆説」を読んで以来、オレの頭には「教授よりも助教授のほうが偉い」という刷り込みがなされたからである。実際、教授よりは助教授、助教授よりは非常勤講師のほうが面白くて印象深い教員が多かった気がしなくもない。いずれにしても「准教授」という肩書きがしっくりくるのは、チャールズ・ラトウィッジ・ドジソンただひとりである。
と思ったのだが、チャールズ・ラトウィッジ・ドジソンが准教授であったのかどうか、Googleで検索してもこれといった確証が得られない。21世紀の日本と19世紀のイギリスでは教育制度が違いすぎるので、彼が「准教授」であったのかどうか、ウェブで調べても意味がないのかもしれない。彼に関する信頼できる文献では、肩書きが「准教授」と訳されていた記憶はあるのだが。