とろとろと

素直に心情を吐露した文章を書きたい。悩みを訴えたい。苦しみを吐き出したい。制度としての告白、などというつまらぬことを考えずに(ほら、このようについ自分の知的バックボーンに触れてしまうのが、われながら愚かしい)。風呂に入っているあいだは今日こそ素直な文章が書けそうな気がしたが、湯上がりのいまとなっては身体とともに気持ちも醒めるばかりである。やはり似合わない。やめる。たとえ誰にも公開するつもりのない覚え書きであっても、どうしてもオレは素直な文章が書けない。「素直な」文章にするために何度も推敲を重ねる時点ですでに素直でも何でもない。
と、「素直な文章」が書けないがゆえの辛さを「素直に」書いてしまうのがメタレベルでの心情吐露となっており、こうしたエクリチュールの戦略に何とも言えない嫌らしさを感じる読者がいるのは承知している。
ああ、なんと無価値な文章であることか。