第1楽章で拍手したっていいじゃないか!

キレる客対策、業界本腰 クラシック演奏会でトラブル急増
http://www.asahi.com/culture/music/TKY200703160235.html
活字版の朝日新聞を読んでいて、「あ、これははてなブックマーク人気エントリーになりそうだな」と予想した記事は、本当に人気エントリーになりがちだ。うはは。
オレがクラシックのコンサートによく通っていたのは1991年前後だが、やたらと神経質な聴衆はたしかに存在していたし、オレ自身だって「神経質な聴衆」のひとりだった。パンフレットをぱらりとめくる音や、足を組み換える音に過剰反応する聴衆もいたが、ここまでくると本当に鑑賞の邪魔になるから腹を立てているのか、「クラシックの聴衆としてふさわしくない行動をしている」というメタレベルで腹を立てているのか、よく判らない(ただしリンク先の記事のような、いきなり「キレる」客はいなかった)。マナーの悪い聴衆にどこまで寛容であるべきかは、「音楽の友」誌の読者投稿欄の定番テーマだった。いずれにしてもこうした態度は、「音楽は神聖不可侵な芸術であり、全身全霊を込めて鑑賞しなければならない」とするドイツ・ロマン派的な美学のなれの果てなのだろう。実際、イタリア・オペラの聴衆はオーケストラのコンサートの聴衆に較べると、はるかにリラックスしている。この辺のメンタリティー高田理惠子のような底意地の悪いドイツ文学者に分析してほしいところだ。
それにしてもブーニン・ブーム(いまではどのくらいのひとが覚えていることやら)や「のだめ軍団」(関係者が付けたとはいえ、ひどいネーミングだ)への反感などは、日本のクラシック音楽ファンの心の狭さを感じさせて、薄ら寒い気持ちになる。はてなブックマークコメントでNOV1975さんが「日本に欠けているのは『カジュアルなクラシックコンサート』だと思うよ」と言っていたが、この意見には同意。お酒を呑みながらでもいいし、第1楽章が終わった途端に拍手してもいいし、ちょっとポップス風に崩した演奏があってもいい。そんな風に楽しめるコンサートがないと、クラシック音楽を生演奏で聴く楽しみは、愚かしい(と、はっきり言わせてもらおう)「クラヲタ」連中の独占物のままになってしまう。
そんなこんなであまりにも有名すぎていまさら勧めるのが恥ずかしい本だが、渡辺裕の『聴衆の誕生』は読んでおこう。特に自分の立場を相対化、客観化できない愚かしい「クラヲタ」こそが読むべきだが、読んでも改心しないんだろうなあ。

聴衆の誕生

聴衆の誕生