韓国とわたし

すでに書いたように、オレが韓国という国を強く意識するようになったのはソウルオリンピック以降である。しかしそれ以前は韓国とまったく縁のない生活を送っていたわけではない。
オレが通っていた小学校と中学校は学校の屋上から日本海が見えるという立地で、放課後などはよく砂浜まで遊びに出ていた。魚喃キリコの『blue』の舞台になっている砂浜は、われわれが遊び場にしていた砂浜とまったく同じ場所であり、おまけに魚喃キリコとオレの妹は同じ高校の出身である(学年は妹がひとつ上)。そんな事情があって、あの漫画はなかなか客観的に読めないのだが、そんなことはどうでもよろしい。話がそれたではないか。
小学校6年か中学校1年のときだと思うが、砂浜にハングルが印刷された洗剤や健康用品の空き容器が大量に打ち上げられたことがある。ローティーンの男子がこんな「オモチャ」に興味を持たないはずはなく、いったいいくつ拾えるか、クラスメイトのあいだで争奪戦が起こった。何しろオレだけで20個くらい拾った記憶があるのだから、半端ではない量であったのはたしかだ。もしかしたら韓国ではなく北朝鮮の製品だったのかもしれないが、「日本と朝鮮半島は海を挟んで隣り合っている」という事実を実感した最初の出来事であった。当時のオレは「韓国のひとはごみ捨てのマナーがなってないなあ」と思ったものだが、大人になってからこの話を知り合いにしたところ、「倒産したメーカーが不法投棄したのではないか」という答えが返ってきた。なるほど、この説明のほうが理にかなっている。何しろ打ち上げられていたのが、ほとんど同じメーカーの製品だったのだから。
ともあれ新潟の砂浜に押し寄せるのは工作員だけではなく、太平洋側で生まれ育った人間はこんな経験はしたくてもできなかっただろう。