キイチたん

四方田犬彦『「かわいい」論』(ISBN:4480062815)、読了。これを読んでも、「かわいい」の本質がいきなり判るわけではない。ただし「かわいい」について自分なりに考察を深めたいときに、有益なヒントを与える本になるのはたしか。「『萌え』の聖地」を取材するにあたり、秋葉原と池袋だけではなく、新宿二丁目も調査対象に加えるセクシュアリティ・コレクトネス(勝手な造語)は、さすがと言うべきか。
ところで82ページに「澁澤龍彦はかつて、E.T.とは養老院を脱走して孫に会いに来た老人ではないかという仮説を述べたことがあった」という一節があるが、なぜかここだけ出典が明記されていない。著者自身がどうしても該当する文献を見つけられず、記憶だけに頼って書いたかもしれないので、お節介ながら出典を書いておくと、『マルジナリア』(ISBN:4828820884)収録の「E・Tは人間そのもの」というエッセイである。河出書房新社版『澁澤龍彦全集』では、20巻に収録されているようだ。

……もともとE・Tにはカエルみたいなところもあるにはあるが、その顔といい手足といい、やはり皺だらけの老人に近いのではないだろうか。
 そこで私はこんなことを考えた。すなわち、もしも老人ホームから脱出してきた孤独なおじいさんが、あなたの家にひょっこりあらわれたら、あなたはエリオット少年のように、おじいさんを自分の部屋にかくまってあげますか、と。私はべつだん冗談を言っているのではない。まさか、E・Tはかわいいけれども、おじいさんはかわいくないからイヤだなんて、冷酷なことをおっしゃるひとはいないでしょうね。

あ、澁澤龍彦E.T.をめぐって、「かわいい/かわいくない」の問題にちょっとだけこだわっている。
なおオレはE.T.だかヨーダだかに似ていると言われた宮澤喜一を、「かわいい」老人だと思っている。何もこれはルックスだけの問題ではない。自民党の首相経験者でありながら穏健なハト派を貫いた政治姿勢はもちろん、旧制高校的な教養の豊かさを思い切り鼻にかけるところまで、「かわいく」感じられてしまうのだ。それに対して村山富市は「かわいい老人」の典型としてキャラクター商品にまでなってしまったため、かえってかわいく感じられない。