4半世紀ぶりのブラック・ジャック

エディションがどうのこうのと文句をつけながら、秋田文庫版の『ブラック・ジャック』をほぼ読み終えてしまう。気付いた点をいくつか。

何しろ仕事で得た高額な報酬で、原生林が残る沖縄の小島を買い取ったりしている。これはオイル・ショックによって、「がむしゃらな経済成長よりも自然保護を」という動きが出てきた当時の世相を反映しているのであろう。

  • 誰もが自動車に乗る

人里離れた岬の上に住んでいるブラック・ジャック本人はともかく、電車で移動したほうが自然なシチュエーションでも、登場人物は自動車に乗りたがる。そちらのほうが一刻一秒を争う医療漫画らしい緊迫感が出せると思ったのか、それとも手塚治虫本人があまり電車に乗らないひとだったのか。そして交通事故のシーンがやたらと多い。
あとブラック・ジャックは酒場で軽く引っ掛けたあと(日本酒がほとんど)、自家用車で帰宅している。いまなら捕まっているぜ。

たとえアフリカの奥地へ行こうと、ブラック・ジャックは通訳なしで現地のひとと会話している。いったいお前は何ヶ国語に精通しているのだ。これは手塚作品のひとつの傾向であり、最晩年の『グリンゴ』でもなぜか日本人と現地人があっさりコミュニケーションを成立させている。ほぼ同じ時期に描かれた山本直樹一色伸幸の『僕らはみんな生きている』では、現地語しか判らない現地人、現地語と英語が判る現地人、日本語しか判らない日本人、日本語と英語が判る日本人、日本語と英語と現地語が判る日本人が叮嚀に描き分けられているのとは好対照である。
これは外国人に接する機会が稀だった世代と、誰もが気軽に海外旅行に行けるようになり、日本国内でも当たり前のように外国人を見かけるようになった世代の差ではないか。外国人が身近になったがために、「世の中には『話の通じない』ひとがいる」という事実をリアルに体感できるようになったというか。