「時かけ」の感想ふたつ

すっかり時機を逸した感もあるが、アニメ版『時をかける少女』の感想で面白いものを見つけたので紹介する。
こせきの日記 - 『時をかける少女
http://d.hatena.ne.jp/koseki/20060903/tokikake
先日の「『時をかける少女』を語る会」では、「主人公の三人組はほかに友達のいなそうな、クラス内では浮いている存在なのでは」という意見が主流だった。ゆえに彼らが「スクールカーストの頂点に立つ」というこせきさんの意見はちょっと意外。自分が通っていたのがどんな高校だったかで、この辺の印象は決まってしまうのだろうか。
Tres tristes tigres... - 告白時、毒吐く子(回文)
http://d.hatena.ne.jp/kasuho/20060829/p2
そうか、『ハチミツとクローバー』と同じく『時をかける少女』も、「絵画をめぐる映画」だったのだよな(これも「語る会」では出てこなかった視点)。
映画や漫画で「上手い絵」を描くのは意外と難しい問題だ。作り手としては精一杯の「名画」を描いたつもりでも、観客や読者が同じ感覚を共有するとはかぎらないからだ。そのために肝腎の絵を見せないという手法が採られることさえある。ちなみにアニメ版の『時をかける少女』は修復を担当している芳山和子に「この絵が名画なのかどうかも判らない」と語らせることによって、この問題を回避していた。
そして同じ問題をテレビドラマ版の『のだめカンタービレ』もかかえている。ドラマで実際にピアノを弾くのは上野樹里ではなく、本職のピアニストなのだろうけど、初期ののだめのような珍妙かつ才能を感じさせるタッチでショパンモーツァルトを弾けるピアニストがどのくらいいるだろうか。グレン・グールドの魂でも招魂すべきか。でもグールドとのだめじゃ、得意なレパートリーがあまりかぶらないのだよなあ。