教え子から見た中井猛之進

中井英夫が自分の父親(植物学者の中井猛之進)を異様に嫌悪していたのは有名な話だが、実際に猛之進はどんな人物だったのか。東大植物学科出身の作曲家、柴田南雄が最晩年に出版した自叙伝『わが音楽 わが人生』(ISBN:4000026305)に猛之進がちょっと登場する。中井文学のファンでこの本を読んでいるひとはあまりいないと思うので、何かの役に立てば思って引用する。

 上記の中井猛之進教授は植物分類学が専門で、とくに朝鮮半島の植物の権威だったが、偉丈夫でしかも激しい性格の人で、門下生にも厳しかった。羊歯類の分類で自説と異なる発表をしたお弟子さんを、名指しで「学匪」と非難されたのにはみな驚いた。ある先輩から聞いた話だが、中井先生と、同世代の動物学者で寄生虫の権威である慶応大学教授の小泉丹氏とが、街路で取っ組み合いの喧嘩を演じているマンガを五月祭に展示したが、ただちに撤回を命じられたそうだ。旧満州の熱河に「満蒙学術調査研究団」というのが編成派遣された時には副団長を勤められたが、衛兵が自分に対する敬礼のラッパを吹かなかったといって立腹した話は有名だった。教授の子息の一人は異色の編集者で小説家の中井英夫氏である。わたくしは、この方にお会いする機会の無かったことを残念に思っている。(117ページ)

しかしインパクトのある名前で、しかもその名前の通りの性格になったのがすごい、猛之進教授。