川原泉と保守性

さっきまで友人とメッセンジャーで議論していて、まとまったことを書く。川原泉の人間観・恋愛観は基本的には保守的である。いまどき「主人公が片親」という設定に頼らなければ物語を駆動できないのがその典型。また釣り、自衛隊、ゲートボールといった少女漫画らしくないテーマを好んで描くのは、「普通の」舞台ではストレートな恋愛ものを描きにくくなってしまった1980年代以降のトレンドに取り残されてしまったからだろう。その一方で彼女は「政治的な正しさ」の重要さも理解している。Yahoo!ブックスのインタビュー

「そうそう。あんまり偏見を持たない人を描きたいので。日常生活でも、偏見を持つと損することがあるじゃないですか。たとえばあんずが嫌いだという人がいたとして、たまたま昔食べたあんずがまずかっただけかもしれない。おいしいあんずを食べたら好きなのにということもあると思うんです。だから私も偏見をなるべく少なくしたいんですけど、なかなかね」

と発言しつつも(強調引用者)、

「良い子というか、私は基本的に親がちゃんとしつけた子を描きたいなというのがあって。人としてこのくらいの礼儀は知っておいてほしいというところは譲れないですね。たとえば登場人物が年上の人に対して乱暴な言葉を使っていたりすると、“こんな口のきき方をしてはいけない”と思って、ネームを書き直したりしている自分がいるんですよ。もし描くとしたら、“今はこの子はやさぐれていて、わざとこんな口のきき方をしているけど、本質は礼儀正しいんだよ”という描き方しかできないんです」

とも発言するのは、観念的には進歩派だが、実生活では保守派である彼女の資質を端的に示している。この保守と進歩の相反する要素を抱え込んでしまったことが、川原泉の作品を魅力的ながらも「スキ」のあるものにしているのではないか。
またこれは川原泉とは無関係だが、少年漫画では「金田一少年」がヒットするまで本格的なミステリ作品が成功を収めることはなかった。一方、少女漫画では吾妻ひでお江口寿史鴨川つばめのように「笑い」に身を削るあまり精神的に破綻した作家の話をあまり聞かない。もし例外があるなら、コメント欄などでご教示されたい。