ロリコンとペドフィリア

出家日記―ある「おたく」の生涯

出家日記―ある「おたく」の生涯

基本的には著者本人の実体験しか書かれていないので、1980年代のオタク文化をめぐる史料性の高いものを期待したひとは、肩透かしを喰らうだろう。オレも最初は史料を期待して読んでいたのだが、次第に蛭児神建というひとに対する興味が勝る。長い文章を書き慣れていないのか、あるいは出版業界を長らく離れていたために勘が鈍ってしまったのか、唐突な論理の飛躍、時系列の混乱、本論と無関係の私怨などが目立つのに、するりと読めたのは、このためだろう。
蛭児神建はこの本で、「私は美少女を陵辱したかったのではない。美少女になりたかったのだ(だからこそ現実の幼女や少女が性犯罪の犠牲になるのは耐えられない)」と繰り返している。そう、ある種のネタとして「オレってロリコンだから」と自嘲気味に語っているひとと、真性のペドフィリアでは人種が違うのだ。そして後者はブログや2ちゃんねるといった日の当たる場所*1で情報を交換したり、自分の心情を吐露することはない。完全にクローズドな場所を利用するはずだ。
あ、話が本の感想でも何でもなくなってきたな。要するに活字メディアやウェブで自分がいかに「ロリ」であるかを積極的にアピールするのはまだまだ可愛い手合いなのだから、そういう連中を糾弾しても意味がないのではないか、ということ。本当の悪はわれわれには計り知ることのできない闇のなかに潜んでいるのだ(と、佐野眞一風に締めくくりたかったのだが、うまくいかなかった)。

*1:Googleの検索対象になるからには、2ちゃんねるだって「日の当たる場所」だろう。