ネットリテラシー?
法月綸太郎の短篇推理小説に、被害者の学生が書いていたウェブ日記が重要な証拠になるものがあったと記憶する。あらゆる可能性を疑ってかかるのが法月作品の特色だが、この短篇では「日記は本人以外が書いているのでは?」や「日付が捏造されているのでは?」といった疑問はいっさい出てこなかった。ウェブ日記は本人が本当のことを書いているのが前提で、物語が進んでいったのだ。これは法月綸太郎の周辺に、実際に個人サイトで日記を書いていた関係者が多かったからだろう。
思うに
- 個人サイトにもっぱら接してきたひと
- 公式サイトにもっぱら接してきたひと
- 匿名掲示板にもっぱら接してきたひと
- 携帯電話からネットに接してきたひと
- 又聞きでネットの実態を想像したひと
では、インターネットの描きかたにかなりの違いがあるのではないだろうか。1990年代後半ならまだしも、いまではネットがストーリーにからんでくるフィクションなど当たり前になっているので、実証は難しいだろうが。
あ、こういう話はhttp://yskszk.org/mt/に書けばいいのか。どうにもうまく使い分けられない。