キーワードと安心感

ised@glocom第1回設計研の議事録が公開された。共同討議第1部のはてなはどこへ向かうのかで、東浩紀は次のように発言している。


ここではてなmixiを比較してみるのもいいかもしれません。僕ははてな派をつねに公言していますが(笑)、その理由は、はてなが、コミュニティが存在しない場所に強引にコミュニティを作り出した実験場のように思えるからです。他方で僕は、mixiは、よくできたサービスだとは思うけれども、知的には興味がない。というのも、mixiという共通するアーキテクチャのうえで、たがいに巧みにゾーニングされた「マイミク」や「コミュニティ」が林立する、というあのサービスのシステムは、現代社会の欲望をあまりに正確に反映してしまっているからです。けれどもはてなには、そのような複数のコミュニティを強引に繋いでしまうキーワードリンクがある。完全なゾーニングを不可能にし、はてなという大きなコミュニティを維持することに対して、とても情熱がある。
と述べている。たしかに理屈としてはこれで正しいのだろうが、実際にはてなダイアリーのキーワードが、「複数のコミュニティを強引に繋いでしまう」機能を果たしているかというと、少し疑問がある。はてなのキーワードはむしろ、「同じ問題について、自分と似たようなことを考えているひとがいるのだ」という安心感を得るために使われているのではないか。これはもちろんはてなの罪ではなく、利用者側の責任なのだが。だいたい、専門性の高いキーワードになればなるほど、そのキーワードに言及するのはどこかで見知ったような面子になってしまい、「交通事故」(ちょっと80年代くさいボキャブラリーだ)はほとんど起きなくなる。そもそもが異なるアーキテクチャにもとづいているのに、はてなmixiがここまで頻繁に比較の対象になるのも、根っ子のところでは「似たもの同士」だからではないのか。