音質? それとも利便性?

だれが「音楽」を殺すのか?』を第二章まで読む。いろいろと疑問点が浮かび上がったので、メモ。なおこれらの疑問点は本の内容ではなく、現在の音楽産業に関するものなので、「書評」という文脈で言及されるとちょっと困る。

  • 近い将来、音質を重視する層(クラシック、ジャズの愛好家)と手軽さを重視する層(ポップ・ミュージックの愛好家)のあいだで、まったく異なる市場が形成されるのではないか。前者はDVD-AudioSACDといった次世代CDを歓迎し、後者は各種の音楽配信サービスを重宝するだろう。
  • 上は必然的な変化なのかもしれないが、「音質」派と「手軽さ」派がおたがいに没交渉になったら面白くない。LPやCDというメディアさえ共通していれば、どんなジャンルにでも簡単にアクセスできるのが、レコードの魅力のひとつだ*1。ひとつのジャンルにのめり込むあまり、興味のないジャンル、知らないジャンルへの好奇心が失われるのは、音楽だけではなく、小説でも映画でも好ましいことではない。
  • クラシックは本来的に、音楽配信サービスに不向きなジャンルだ*2。しかし「『のだめカンタービレ』を読んで、ちょっとクラシックが聴きたくなりました」といった層に向けた、「つまみ食い」的なサービスがあってもいいのではないか。
    • でもそれなら、アマゾン・コムで試聴すればいいだけの話か。うーん。
  • 個人的にはどれだけ洗練されたシステムになったとしても、DRMには抵抗がある。文化財はできるだけアクセスフリーな状態にしたい。たとえば何らかの理由があって原盤が失われた音源を、市販のレコードをもとに復刻するといった作業が、DRMによって困難になってしまうのではないか。
  • 著作物の権利は技術よって保護されるものではない。それよりは著作権一般に関する地道な啓蒙活動が重要なのではないか。以前の日記でも取り上げたネット著作権ってなんだ?で、マスダ氏はいい意味で「啓蒙家」として振る舞っている。彼には「ロック世代の音楽著作権エバンジェリスト」(笑)として、これからも各所で積極的に発言してほしい。
    • もっとも文章の世界では2ちゃんねらー諸氏の一知半解な啓蒙が行きすぎたおかげで、「他人の文章を引用するときには、許諾を得なければならない」といった間違った解釈が一部に行き渡るようになったのだが。

*1:ロックコンサートに行くには体力が衰えている老人でも、自宅でロックのレコードを聴くことはできる。たとえば晩年の大岡昇平

*2:圧縮音源では音質の劣化は避けられないし、ワーグナーのオペラやマーラー交響曲をダウンロードするのは時間がかかる。そもそもオペラや交響曲はトラック単位、ファイル単位での楽曲の管理には向いていない。また現時点ではドイツ・グラモフォン、ロンドンといったヨーロッパの名門レーベルがインターネット配信に消極的なので、魅力的なコンテンツに乏しい。