小説の読みかた(むしろ読めなさかた)

たしかにオレも、煩かったり、あざとかったりする小説はどうにも読めなくなりつつある。これはもしかしたら、30歳をすぎてからカツ丼や牛丼といったこってりした食べ物を次第に受け付けなくなったのと、パラレルな現象なのかもしれない。安直な譬喩ではあるが。

「なぜ小説を読むのか」という問いに対し、単純に物語を面白がりたいのであれば漫画や映画のほうが手っ取り早いし、事実に関する正確な情報を知りたければ、ノンフィクションやルポルタージュのほうが信頼できるし……と、消去法で考えていくと、結局は「文体」しか残らない。しかしこれでは一部のテクスト論者と同じ結論になってしまい、それこそ面白くないのだが、文章の質が一定のレベルをクリアしていない小説は、話がどれだけ面白そうでも最後まで読む気が起きない。「文章の質」といっても古典的な美文・名文の「質」が高いわけではないし、そもそも文学史に名前を残すような作家で、「古典的な美文・名文」を書いていたひとは多くない。むしろひと世代前の「美文・名文」のイメージを転覆させるのが、新しい世代の作家の使命なのだ! というアジテーション自体が、硬直したテクスト論者(具体的には渡部直己を念頭に置いている)の口吻にそっくりなのだが。

で、この文章で何を主張したいんだろう、オレは。