美大的、音大的
『のだめカンタービレ』を5巻から7巻まで読む。この漫画は音大的イデオロギーと美大的イデオロギーの相克と和解の物語として捉えられるだろう*1。
音大では高度なテクニックによって過去の作品を忠実に再現することが求められ、美大ではテクニックよりも自発性や独創性が重視される。クラシックにロックのテイストを持ち込むことにこだわる峰や、どんな曲でも譜面ではなく耳で覚えてしまい、パソコン用のフォントを自作する「のだめ」は、いわば「間違って音大に入ってしまった美大生」である*2。それに対して高名なピアニストの長男として生まれ、ドイツ流の指揮者に憧れる千秋は、「音大に入るべくして入った音大生」だ。物語の冒頭では「美大」と「音大」は相容れない者どうしとして敵対するが、物語が進むにつれて「美大」と「音大」は次第におたがいを理解し、長所を引き出しあおうとするようになる。
この作品がクラシック音楽に関心がない読者からも支持されているのは、上のような図式があるからではないか。もし「音大に入るべくして入った音大生」しか登場しなかったら、「鼻持ちならないスノッブ漫画」として嫌悪されていたかもしれない。
いま書いている原稿とちょっとだけ関係があるかもしれないテーマなので、思わず長く書いてしまった。