きっとおかしなことを書いている

オープンソースをめぐる議論が非当事者からは「どうでもいい」と思われがちなのは、そもそも「プログラムは著作物だ」と言われてもぴんとこないひとが多いからだろう。コンピュータ・プログラムはその性格上、特許によって保護されるべきだったのに、ソフトウェア大国であるアメリカの後押しで著作権によって保護されることになった、とは『著作権の考え方』[amazon]でも指摘されているが、オープンソース・コミュニティー(ってものがあるのかどうかもよく判らないのだが)のひとは、この辺の事情をどこまで念頭に置いているのだろうか。

まあ、コンピュータ・プログラムが「思想や感情を表現した創作物」ではないと断言してしまうのもためらわれるが、だったら日曜大工のたぐいも著作物になるわけで、コンピュータ・プログラムだけが別枠扱いになっているのはやはり不自然だと思わなくもない。しかしこんな風に考えるのはオレがソフトウェア開発の現場を知らなさすぎるからなのかもしれず、しかしそれは単に文学や音楽といったジャンル以外にこそ「作者」幻想を見いだそうとするオレのある種のオリエンタリズムの発露なのかもしれなくて、どうにもこうにもぐずぐずになりながら今日の日記は終わる。