1989

四方田犬彦『ハイスクール1968』(新潮社)[amazon]

『新潮』の今月号に載っていた著者と坪内祐三 のパブリシティー対談がわりと面白かったので、ちょいと読んでみようかと思い、アマゾンのショッピングカートに放り込む。「わりと」や「ちょいと」といった留保を付けるのは、こういう本に興味を持ってしまう自分に若干の後ろめたさを感じるからなのだが。

おそらく四方田犬彦(1953年生まれ)あたりが、「オレたちの青春は時代の青春とシンクロしていたのだ」と確信を持って語れる最後の世代なんだろうな。1970年前後に生まれた人間にとっては、昭和が終わって手塚治虫が死んで最後の共通一次試験が実施されて消費税が導入されて天安門事件が起こって社会党参院選で勝利して宮崎勤が逮捕されてベルリンの壁が崩壊した1989年が「オレたちの青春」になるのかもしれないが(ちなみにオレが大学に入った年でもある)、四方田犬彦が「1968」について語っているような口調で、1970年前後に生まれたライターや批評家が「1989」を本格的に論じることはないだろう。オレも書くつもりはない。

たしかに「1989」に起こった大事件は、たしかに印象深いものばかりだった。しかしそれはいずれもブラウン管や新聞越しに伝えられる「大事件」にすぎず、パーソナルな生活にはまったく影響を与えなかった(例外は消費税)。1970年前後に生まれた者は「オレたちの青春は時代の青春とシンクロしていたのだ」とは、口が裂けても言えないのだ。むしろ「そんなことは決して言うまい」というのが、1970年前後に生まれたならではの心意気であり、倫理であるようにも思われる。

とかいいつつ、あと5年もすれば「1989」をノスタルジックに回顧する漫画や映画がスマッシュ・ヒットするような気がしなくもない。しかしそれでも「1989」が「べル・エポック」として表象されることはないだろう。されたとしたら、オレは徹底的に抗う。