小林秀雄の「呪縛」?

といったレトリックはいかにも安っぽい小林秀雄風だが、じつは小林秀雄をまともに読んだことはない。せめて『感想』ぐらいは読んでいないと恥ずかしいよなあ、と思って新宿まで赴くが(『本居宣長』でも『モオツァルト』でも『近代絵画』でもなく『感想』なのが、いかにも現代の若者めいていて照れ臭い)、ソフトカバーの『小林秀雄全作品』はまだ『感想』が収録されている巻が刊行されていなかった。かといってハードカバーの『小林秀雄全集』は大学教師が研究費で買うことを当て込んでいるとしか思えない強気の価格設定で(1冊につき8,000円)、とても手を出す気になれない。新宿、中野、江古田とうろついて、最終的には以下のものを得る。


小林秀雄『Xへの手紙・私小説論』(新潮文庫[amazon]

『文藝別冊 総特集・小林秀雄』(河出書房新社[amazon]

『なるほど世界知図帳 '03-'04』(昭文社[amazon]


『文藝別冊』では仲俣暁生「遊星から堕ちてきた『X』の悲劇」が面白かった。この小論を巡って「クオリア」の茂木健一郎仲俣暁生のあいだで交わされた論争については、こちらに詳しい(というか先にこちらを読んで、ことの発端となった『文藝別冊』の文章を読みたくなったのだ)。佐々木敦「『モオツァルト』・グラモフォン」は、誉めなくてもいいものを無理に誉めている印象は否めず。佐々木敦にかぎらず、このムックに寄稿している比較的若い論者の文章からは同じ印象を受けた。その点、高橋悠治の「小林秀雄『モオツァルト』読書ノート」は、小林の生前に書かれた小林批判としては安吾の「教祖の文学」に匹敵する強度を誇っており、初読時から10年は経ったいま読んでも、思わず居住まいを正したくなる。逆に永江朗による秋山駿へのインタビューはいい感じにボケた味わいを漂わせていて、これはこれで逆の意味で読ませる。あと前田英樹のインタビュー「『感想』とは何か」は、かつて仏文アカデミズムの世界に片足を突っ込んだことのある人間の向学心をそそる刺戟的なものであった。砂糖が水に溶けるまでの時間。

『なるほど世界知図帳』は、いつかまともな世界地図帳がほしいと思っていたオレにとって、自分から自分へのささやかなクリスマス・プレゼントである。