ダントダザイ

ブックオフ檀一雄『小説 太宰治』(岩波現代文庫[amazon]を買う。この作品が岩波から復刊されているとは知らなかった。編集者に急かされて慌てて書いたのか(出版されたのは太宰の死の翌年)、あるいは太宰の思い出が薄れる前に書けるだけ書いておこうと思ったのか、文体や構成はかなり荒い。センテンスが短く、漢語を多用した文体は、あまり読みやすいものではないが、表現に虚飾がないだけに資料としての価値は高い。

しかしまあ、学生時代の檀と太宰(ダントダザイ、という音の響きはなかなか面白い)は、ひたすら酒を呑むか、女を買うか、佐藤春夫から借金するか、中原中也と殴り合っているばかりで、文学に命を賭けるといった気配はまるでない。そしてそのような境遇にありながら、いざ筆を執るとなると傑作を書き上げてしまう太宰の天賦の才に、檀が「これにはかなわない」と観念していたことも、痛いほど伝わってくる。次のような思い出話が故人を辱めるものではなく、むしろ故人への素朴な友情の発露と感じられるのも、檀一雄のかかる邪心のなさに由来するのであろう。

「ねえ。檀君包茎というものは、これはいいもんだ」と、太宰である。

「そうだよ、ギリシャの彫刻はどれを見たって、みんな包茎さ」

 と、山岸である。

「すると、俺達の文学は、包茎の文学というわけか。こりゃ、ひでえ」

 と、太宰が体をゆすり、ころげるようにして笑う。

「つましくもあり、悲しみも添い、また、やけくそであるわけか」

 と、私。

「含羞の文学」と太宰はしばらく含み笑っていたが、

「原因は、僕は例の過度のアンマじゃないかと思うんだ」

 太宰はオナニイレンのことをいつもアンマというならわしだ。
やはり優れた文学を生み出すには、包茎オナニストでなければならないようだ。