詩人と作詞家と思索家は違うのよ

そもそも坂本龍一というひとは作詞が苦手で、ソロアルバムではほとんど詞にはタッチしていない。それでもYMO時代にはいくつか詞を書いているが、いずれも「僕」を主人公にした私小説的・哲学的なスケッチであり、ポップスの歌詞としては高踏的にすぎ、かといって現代詩として評価するにはいささか安っぽい。虚構の第三者に自分の心情を仮託することができないのである、このひとは。

しかし日本のポップスでは作詞者と詞のなかの登場人物、あるいは詞のなかの登場人物と歌い手のジェンダーが交錯するのは日常茶飯事であり(近年の例ではモーニング娘。の「Mr.Moonlight」の二重三重の倒錯性を見よ)、だからこそこのひとは職業的な作詞家にはなれなかった(なろうとしなかった)のであろう。