「モラトリアム」はややこしい
今日(正確には21日の12:00から17:00まで)はいろいろあったのだが、守秘義務があるのでここでは公開できない。そこで半年ばかり前に似たことをやったが、もともと日本語で書かれており、すでに内容を知っている文章のフランス語訳を、原文を参照せずに日本語に移し変えて遊んだ。ただの暇潰しなので、細かな誤りには寛容でいてほしい。
オタクたちの擬似-日本(大見出し)
オタク文化とは何か?(中見出し)
「オタク」という用語はときおり使われている。これは漫画、アニメ、ビデオゲーム、パソコン、SF、特撮ドラマ、フィギュアなどが集まって形作られているサブカルチャーに情熱を注いでいるひとびとを指し示す。本書ではサブカルチャーのこの特殊なタイプは、「オタク文化」と形容されるだろう。漫画やアニメによっておもに説明されるこの文化は、若者文化として考察されている。しかしながら実際には、この文化的生産物の最大の消費者は1950年代後半から1960年代前半に生まれ、それゆえに40歳代もしくは50歳代の社会的な責任を背負っている大人たちなのである。大人の世界への入り口を前にしてそれに無頓着なままに最近の時間を費やしている思春期後半の者たちの事例が問題になっているのではまったくないのだ。このようにオタク文化は日本社会に強固に根を下ろしている。だがオタク文化はもはやマイナーではなくなっているのに、Jポップと同じように広く俗耳に入れられているわけではない。(以下略)
ふだんこのブログを読んでいるひとなら見当が付くように、これは東浩紀『動物化するポストモダン』の冒頭である。それでは次に原文を示す。
オタクたちの擬似日本(大見出し)
オタク系文化とは何か?(中見出し)
「オタク系文化」の構造に現れているポストモダンの姿(小見出し)
「オタク」という言葉を知らない人はいないだろう。それはひとことで言えば、コミック、アニメ、ゲーム、パーソナル・コンピュータ、SF、特撮、フィギュアそのほか、たがいに深く結びついた一群のサブカルチャーに耽溺する人々の総称である。本書では、この一群のサブカルチャーを「オタク系文化」と呼んでいる。
コミックやアニメに代表されるオタク系文化は、いまだに若者文化としてイメージされることが多い。しかし実際には、その消費者の中心は一九五〇年代後半から一九六〇年代前半にかけて生まれた世代であり、社会的に責任ある地位についている三〇代、四〇代の大人たちである。彼らはもはやモラトリアムを楽しむ若者ではない。この意味でオタク系文化はいまや日本文化のなかにしっかりと根を下ろしている。
また、オタク系文化はJポップのように国民的広がりをもつ文化ではないが、決してマイナーな文化でもない。(以下略)
「パソコン」と「パーソナル・コンピュータ」、「漫画」と「コミック」、「オタク文化」と「オタク系文化」、「ひと」と「人」といった微細な表記の違いは言葉遣いの好みの違いにすぎず(編集者よる修正があったのかもしれないが)、「俗耳に入る」というやたらと気取った訳語の選択は完全にオレの趣味だが、原文ではみっつの段落に別れている文章がひとつの段落にまとめられているなど、かなりアレンジされているのが伝わると思う。また原文では「三〇代、四〇代」となっている箇所がフランス語版では10年もずれているのは、原書(2001年11月初版発行)が出版されてからフランス語訳(2008年2月初版発行)が出るまでのタイムラグに起因するのだろう。
とりわけ興味深いのは日本では「モラトリアムを楽しむ若者」で簡単に通じる表現が、フランス語では「大人の世界への入り口を前にしてそれに無頓着なままに最近の時間を費やしている思春期後半の者たち」というややこしい表現になっていることだ。これは日本の「モラトリアム」に相当する社会現象が、フランスには存在していない(あるいはあまり重視されていない)のを指し示しているのだろう。フランス語にも"moratorium"という単語はあるが、これは「非常事態にあたり法令により金銭債務の支払いを一定期間猶予させること」という法律用語であり(『ロワイヤル仏和中辞典』より)、日本語の「モラトリアム」のような文化的な膨らみを持っていない。
あと「ただの暇潰し」といってもけっこうな労力を必要としたので、原書と翻訳のために使った仏和辞典をオレのアソシエイト・リンク経由で買ってほしい。ほとんど肉体労働に費やした一日だったのに、寝る前にこんな作業に着手して一気に仕上げたので、いまだに昂奮のために寝付けずにいるのだ。同情してくれたまえ。
動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)
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Tibetan Dance
深夜になって知人のブログを経由して六本木の中国大使館までチベット弾圧に抗するデモ行進があると知り、土曜日(22日)の昼間に慌てて駆けつける。手持ちの大学ノートを切り裂いてしどろもどろに書いた英語、フランス語、日本語の短い声明文を中国大使館前のコンビニで拡大コピーしてデモ行進に参加。太宰治の有名な長篇小説のヒロインが「戦闘、開始」と書き付けた気分を少しだけ判ったような気になる。デモは警察に暴力を振るわれるでも、仲間内で口論するわけでも、塵芥のたぐいを違法投棄するわけでもない、穏健なものであった。慶賀すべきことであろう。
きわめて人見知りする性格で、アルコールの助けを借りなれば初対面のひと(しかも外国人)に話しかけることはできないのに、アメリカ人やフランス人の参加者にすらすらと英語やフランス語で会話できて、しかも最終的な集合地である公園でマイクを片手に演説できた(英・仏・日)のは、あきらかに「初デモ」の高揚感による。アメリカ人からもフランス人からもオレが書いた声明文は「読みやすくて、政治的に正しい」と評価された。これはただの自慢である。
かような次第であからさまな誤字を除いて、最終集合地で語り、配布した各国語で書いた声明文をここに公開する。近くで聞いていた若者たちから「あんな短い文章なら、2ちゃんねるに書き込めばよかったのに」と苦笑されたが、睡眠薬が効きはじめて朦朧としている中年男性が30分前後で書き上げたのだから、大目に見てほしい。さなきだに「ぴあ」のアルバイトの女性にアンケートされる。すると名刺を渡すオレの底の浅い好色漢ぶりはどうにかならぬものか。
I respect to the chinese tradional culture. But I dislike the goverment of China,now. Freedom for Tibet!!(英語)
Je respecte la culture traditionelle chinoise. Mais je n'estime pas de tout le gouverenment chinois ces
derinierderniers temps. Vive le Tibet!(フランス語)
私は中国の伝統的な文化を尊敬する。併しながら昨今における中国政府は評価に値しない。チベットに和平を!(日本語)
なおフランス人は"Tibet"を「チベ」と発音するとのこと。それでは『となりの801ちゃん』ではないかと思うオレではある。
陰鬱なる過去
デモの参加後は渋谷まで移動して、ユーロスペースで『NAKBA』を鑑賞。イスラエルにもパレスチナにも過剰に肩入れすることなく、何が起こっているのかを冷徹に描いたドキュメンタリー。イングランドにもパレスチナともこれといった利害関係を持っていない日本人監督だから作れたのだろうか。何にしても『実録 連合赤軍』と並んで、20世紀後半の文化について関心のある日本人なら見るべきである。
かような次第であからさまな誤字を除いて、最終集合地で語り、配布した各国語で書いた声明文をここに公開する。近くで聞いていた若者たちから「あんな短い文章なら、2ちゃんねるに書き込めばよかったのに」と苦笑されたが、睡眠薬が効きはじめて朦朧としている中年男性が30分前後で書き上げたのだから、大目に見てほしい。さなきだに「ぴあ」のアルバイトの女性にアンケートされる。すると名刺を渡すオレの底の浅い好色漢ぶりはどうにかならぬものか。