現代国語必勝法?

講談社メールマガジン「現代新書カフェ」の連載記事「Dr.平岩の東大受験必勝法」に、わが意を得たりという文章があった。ここでは現代国語の成績が悪かった著者が、それを克服する過程が描かれている。

 その「ひらめき」とは、自分の頭を使わないことである。自分の頭を使いすぎていたために、私は現代国語ができなかった。

 ひたすら「この文を読むマジョリティー(多数派)は、どのように感じるのか」と推理する。自分の中に、二人目の自分が誕生した瞬間だ。他人の脳の働きを非常に気にする自分が、もう一人の自分として加わったのだ。

オレは小学校から高校まで一貫して現代国語が得意科目だったが、ほとんど頭を使わずにお筆先に憑かれたかのように解答欄を埋めていた。極端に言えば「現代のまともな知識人(すなわちマジョリティー)が間違っても言いそうにないこと」を消去法で消していけば、三択や四択の問題であれば本文を読まなくても正解にたどり着けるのだ。
それでは「現代のまともな知識人が間違っても言いそうにないこと」を知るにはどうすればいいのかというと、学校の授業とは関係なしに、文学書や人文系の入門書を読んでいれば自然に身に付くとしか言いようがない。それが面倒なら、新聞を読んだり、テレビのニュース番組を観ていればよい。そうすれば「いまの世の中では、こういう意見が主流なのだな」とぼんやりと判ってくる。現代国語がどうしても苦手で克服できないという受験生(のような若い世代は、このブログをあまり読んでいないと思うが)は、この方法をためしてみるとよいのではないか。

音大に進むならチェロ!

新聞広告を読んだだけで不快になるプレジデントFamilyなる雑誌があるが、マゾヒスティックな気分にかられて書店で実際に立ち読みしたら、予想を上回る不快感に見舞われた。適当にあたりをつけて最初に開いたページが美大・音大のコーナーだったのが、われながら呪われているとしか思えない。美大や音大さえ年収と就職率を尺度にして価値を判断する記事内容には、ほとんど感動さえ覚えた。
なお同誌によれば演奏家人口が少なく、仕事が回ってきやすいから、音大に進学するのならチェロ専攻が狙い目だそうで。そんな理由で子供にチェロを学ばせる親など、ロストロポーヴィチの怨霊に祟られて地獄に堕ちてしまえばいいのだ。あとはN響、読響、都響が、年収がいいのでお勧めの就職先とされていた。そういう問題かね、プロオーケストラの団員になるというのは。
こんなことを書くと、「とてもニューアカ以降の思想風土を生きている人間とは思えない素朴すぎる芸術至上主義者だ」と批判されるかもしれないが、ここまで身も蓋もなく「人間、学歴と年収がすべて」と言ってのける雑誌を読んでしまうと、反動的な芸術至上主義者になりたくもなるのだよ、うがー。