L'«otaku» et la «sabukalu» au Japon.

SBMなどで自分の予想をいささか上回る反響を呼び起こした「日本における『オタク』と『サブカル』」ですが、フランス語版が公開されました。
http://bonzour.fr/blogs/spleendetokyo.php?itemid=58
翻訳を担当した「ボンズ〜ル」主幹の安田さん、ありがとうございます。安田さんが複数のネイティヴにチェックを依頼し、こちらで固有名詞の読み間違いや微妙なニュアンスがうまく訳しきれていない箇所に若干手を加えたので、かなり「読める」訳文に仕上がったのではないかと思います。日本語を母語とする読者が大多数であろうこのブログで告知することにどのくらいの意味があるのか判りませんが、みなさんにフランス人や南部ベルギー人やケベック州出身のカナダ人やフランスが旧宗主国だったアフリカ諸国や「天国にいちばん近い島」の友人がいたら、ぜひともお知らせください。
それにしても自分が日本語で書いた長文の外国語訳を読むのは面白い経験ですね。「ああ、あれはこう訳すとフランス語らしいフランス語になるのかー」と、いまさらながら勉強になりました。ゆえにフランス語学習者のかたの参考にもなるはずです。
それにしてもコミックマーケットの略称として、「コミケット」よりも「コミケ」が一般的になったのはいつごろからなのでしょう。

「なんでぼくに直木賞くれなかったんだろうなあ」

星新一 一〇〇一話をつくった人

星新一 一〇〇一話をつくった人

最相葉月星新一の評伝を書いたというニュースを知ったときには、あまり期待を抱かなかった。彼女に対しては「テーマは面白いのに、掘り下げが甘い」という印象を持っていたからだ。しかしid:otokinoki:20070329:1175173575から、これはどうにも読まなければならない本だとの確信を得て、慌てて書店に走る。最初のページから星新一がアルコールと睡眠薬を過剰摂取していたのに触れられており(遺族に遠慮してこの性癖を曖昧にごまかしていたら買うのはやめようか、と思っていたのだ)、ああ、これは調べるべきことはきちんと調べて覚悟を決めて書いたのだと再確認して購入。全体をぱらりと拾い読みしてからじっくりと読み始めたのだが、いやもう、濃密な内容に窒息しそうである。書き手の資質はまったく異なるが、1920年代生まれの知識人の屈託を描いている点では、四方田犬彦の「先生とわたし」に相通じる。星新一に恩恵を被った者はみな読むべきだろう。
そして没後10年にもなるまでこうした本格的な評伝が出現しなかったことに、出版界で星新一の置かれている状況が映し出されるのであった。