お疲れさま

げんしけん(9) (アフタヌーンKC)

げんしけん(9) (アフタヌーンKC)

近所の書店に初回限定版がなかったので、通常版を購入。オタク文化について真面目に内省するきっかけを与えられるなど、『げんしけん』にはいろいろとお世話になったので、お礼の意味を込めて初回限定版を買いたかったのだが、目の前にほしい本があるのに、わざわざ家まで戻ってオンライン書店で注文しなおすのはおかしな話なのでやめた。きっとあとで後悔するに違いない*1
笹原が卒業したあともだらだらと続くかと思いきや、卒業式とともに最終回。潔い。日本にオタク文化があるかぎり、何らかのかたちで読み継がれる作品だろう。
しかしこういう漫画を読むと、ガクセーじみたものをことごとく遠ざけ、アパートに籠もって本とCDに埋もれていた自分の大学生時代は間違いだった気がしてくる。オレが急速に「ガクセー」化するのは24歳をすぎてからだが(大学院という特異な環境のおかげである)、これはいかにも遅すぎた。人間、しかるべき年齢にしかるべきことをやらないと、成熟に失敗する。

*1:と書いた数分後にアマゾンで初回限定版も注文してしまったオレは、たしかに一匹の阿呆である。

目玉の話

マダム・エドワルダ/目玉の話 (光文社古典新訳文庫)

マダム・エドワルダ/目玉の話 (光文社古典新訳文庫)

光文社文庫が西洋古典の新訳に力を注いでいる話は知っていたが、まさかこんなものまでが「古典」の殿堂入りをしていたとは。「目玉の話」とは聞き慣れないタイトルだが、生田耕作が「眼球譚」として訳した作品と同じもの。訳者の中条省平によれば、原題の"Histoire de l'œil"は子供でも知っている単語だけで構成されており、そのニュアンスを活かすために、あえて散文的に訳したとのこと。それなら村上春樹の翻訳を真似て原題をそのままカタカナ表記するのも悪くなさそうだが、「イストワール・ドゥ・ルイユ」ではさすがに何のことだか判らない。
戦後生まれの研究者によるバタイユのポルノグラフィーの新訳をイエス・キリストの生誕を祝う日に読むのは、なかなか背徳的な感じがするが、クリスチャンじゃない人間がやってもあまりインパクトがなさそうだ。