表紙に見る日本文学の受容

Twitterid:yomoyomoさんと喋っているうちに、上のようなことが気になった。参考としてamazon.frをば。オレよりも英語が得意なひとは、amazon.comで似たようなことを調べてほしい。

意図的に極端なものを挙げたのだが、「日本文学」はこういう表紙でないと納得しない読者(および出版関係者)がフランスには少なからずいるのは事実のようだ*1
もっともこうしたフランス人の感受性を、たやすく嗤うことはできない。

Ellery Queen: 5 Complete Novels

Ellery Queen: 5 Complete Novels

これは『九尾の猫』など、エラリー・クイーンの後期の作品をまとめたものだが、
九尾の猫 (ハヤカワ・ミステリ文庫 2-18)

九尾の猫 (ハヤカワ・ミステリ文庫 2-18)

のような表紙に慣れている日本の読者は戸惑ってしまう。そうか、アメリカではああいう表紙を好む読者層がクイーンを読んでいるのか。ハヤカワ文庫や創元推理文庫の上品で素っ気無い表紙に慣れている(もっともオレが大学生になったころから、創元はいささか俗受けを狙った表紙が増えてきたが)せいで、推理小説やSFが何やら知的な娯楽だと勘違いしている日本人は多いのではないか。宮田昇『戦後「翻訳」血風録』(ISBN:4938463881)に、抽象画を表紙にしてハヤカワ・ポケット・ミステリは「探偵小説」の泥臭いイメージを払拭して、新しい読者層を開拓できたのではないかと書かれていたが、これは正しい指摘かもしれない。

*1:そして調べていくうちに、『万延元年』はこの表紙でも似合っているのではないかと思えてきた。