本日のCD

Switched on Bach

Switched on Bach

オレの電子楽器とクラシック音楽への愛着を知っているひとなら、「まだこれを聴いていなかったのか」と呆れるかもしれない。しかし「定番」と呼ばれるものにかぎって聴きそびれるなど、よくある話ではないか。責めるな。それにこのアルバム、オレが音楽ともっとも熱心に付き合っていた1990年代には、入手困難だった記憶がある。
古典派やロマン派のクラシックの名曲をポピュラー音楽風にアレンジしたものは、聴いていると腰が砕けそうになることが多いのだが、バッハは誰がどんな風に解釈しても楽しく聴ける。このアルバムもまたしかり。こうしたバッハの普遍性(の裏返しとしての匿名性)は多くの論者が指摘し、分析するところだが、まだ万人を納得させる意見は出ていない。岡田暁生西洋音楽史』(ISBN:4121018168)の「バッハの楽譜には細かい指定があまり書き込まれていないので、どんなテンポ、どんな強弱、どんな楽器で弾いても違和感がない。だからどうにでも料理できる」(大意)という指摘がオレにはしっくりくるが、それでも充分に説得されたとは言い難い。このアルバムに限定すれば、古典派、ロマン派のモノフォニックな音楽より、バロックのポリフォニックな音楽のほうが、電子楽器・多重録音ならではの強みを発揮できる、とも説明できる。しかしそれでは、なぜほかならぬバッハが選ばれたのか。1968年というリリース年や、演奏者のウォルター・カーロスがのちに性転換してウェンディ・カーロスと名乗った事実からして、既成の価値観(「楽聖バッハ」など)への異議申し立てだったのかもしれない。と思いながらカーロス本人が再発時(2001年)に書いたライナーノートを読むと、

By 1968, we stood at one on those brief juncture in history in which breakthrough means, curiosity and motive come together, perhaps in a collision. I'll always be there and play a small role in this particular shift of paradigm.

なんてことが書いてある。どうも本人に説明されると白ける。

追記

ニコニコ動画には、バッハの作品を初音ミクに歌わせたものがいくつかある(以下、視聴するには、ニコニコ動画のアカウントが必要)。

ともあれバッハの音楽には「いじって」みたいという欲望を掻き立てる要素があるのだろう。その理由が譜面の簡潔さ(解釈多様性)にあるのかどうかは、さだかではないが。