偽の友人?

オレの知り合いで社会学をやたらと毛嫌いする在野の(というのも、あまり美しくない日本語だよな)文学研究家がいる。社会学も嫌いではない文学愛好家であるオレは彼女の話を聞くたびに頷いたり違和感を持ったりするのだが、みずから思い付いた「文学と社会学はfaux amis(偽の友人)だ」という適切なのかどうかよく判らない譬喩で納得する。"faux amis"とは「意味もスペルもよく似ているが、微妙に指し示す対象が異なる外国語の単語」のこと。たとえばフランス語の"monnaie"と英語の"money"はほぼ同じ意味だが、"money"には「小銭」という意味はない。こうしたものをfaux amisと呼ぶ(これはフランス語初学者がかならず学ぶ例)。
文学と社会学はときとして扱う対象が近くなることがある。たとえば漫画であったり、ポピュラー音楽の歌詞であったり。しかしそれらにアプローチするときの方法論がまったく異なるので、ストリクトな文学研究家は社会学者の「いい加減さ」(すべてを時代の「表象」として捉え、テクストの不透明性に鈍感であること、など)に苛立ちを隠せないのだろう。
ところでフランス語版Googleで"faux amis"を検索すると、死ぬほどくだらないアダルトサイトがトップに表示される。げんなり。