不思議な異同点

村上春樹版「ロング・グッドバイ」 清水訳から半世紀
http://www.asahi.com/culture/update/0314/001.html
この記事は活字版の朝日新聞(新潟で掲載されたのは今日だから、東京では昨日の夕刊だろう)にも掲載されているが、不思議な異同点がある。活字版では「『もしプライドがあるなら、こいつに向かって見せてやるんだな(村上訳)』となっている」というセンテンスのあとに、

 チャンドラーの著作を座右の書として小説を書いてきた作家の原籙さんは「練達の清水節になじんできたので最初は違和感があったが、村上訳も読みやすかった。田中小実昌さんや双葉十三郎さんの訳も良かったように、チャンドラーの作品そのものに名訳を生む力があるのです。村上ファンが一人でも多くチャンドラーを読んでくれるようになればいい」と話す。

というパラグラフが続くのに、ネット版のアサヒ・コムではばっさり削除されているのだ。活字版では字数の制限があって掲載できなかったコメントを、ネット版で復活させたのならばまだ判るが、その反対となると解せない。原籙には「デジタル媒体には自分の発言を載せてほしくない」という強いポリシーがあるのか、あるいは「籙」の字を入力するのが面倒臭い(文字化けしていませんか、皆さん)記者が削ったのか、いずれにしても現実味のある話ではない。
新潟に引っ越してから、活字の朝日新聞とネットのアサヒ・コムを読み較べる機会が増えたのだが、たまにこういう「不思議な異同点」が見付かる。その多くは「活字版では(あるいは地方版では)字数の関係で載せられなかった情報を、ネット版では載せたのだな」と納得できるのだが、今回の件はどうにも理由が判らない。まさに推理小説的な謎とでもいうべきか。
ちなみに田中小実昌訳のチャンドラーはファンにはあまり評判がよくないが、「清水訳よりもコミさん訳のほうが、原文のニュアンスを伝えている」という評価もある。何にしても亡父の愛読書であったが、学生時代のオレには面白さが理解できなかった(ハードボイルド小説で面白いと思ったのは、ロス・マクドナルドくらいなのである)この長篇、これを機に読み返してみるべきか。